● カオジロサギ:White-faced Heron
日本では庭に池を持つ家は多い。
あるいはちょっとした陶器に水をはって金魚を飼う人もいる。
だが、ここでは見かけない。
デカい庭を持ちながら池はない。
池の効用は、やはり水というものに対する人間の根源的憧れではないだろうか。
水面をみていると、なんだか和んでくるといった心理だろう。
テラスで山々を眺めるのもいいが、そこに池とか湖とかがあると、格段に気分が晴れてくる。
山だけだと少々怖いという感じがするが、水はあるとなんとなく安心するといった心理状態になる。
ビーチの効用もそれだろう。
ハイライズから目の前に広がる海岸線を眺めるのやはり水のもっている何らかの力に人間が感化されるからではあるまいか。
ビーチを歩くと、足だけでなく心が洗われるような気分になれるということだろう。
ここの人が池を持たないのは替わってプールを持つからである。
プールというのは金を掛けたほどには使われていない。
それに掃除や水質保持やとなんやかやで維持費がかかる。
ろくに泳ぎもしないのに金をかけてまでプールをもちたがるのは、水の傍に居たい、という人間心理のナせるワザではないだろうか。
プール脇に椅子を持ちだし、チップスでもつまみながらビールを飲む、あるかバーベキューパーテイーをやるといった行動は、一重に水へのあこがれ、精神的安定を求めての行為ではないかと思う。
水を見ているだけで、心が落ち着くといった人は非常に多い。
能書きが多いのだが別にプールについて述べようとしているわけではない。
我が家はプールなどという高尚なものをついに持つことなく、2LDKスタデイ付きの団地の借家住まいとなってしまったのだから、そういう資格はない。
こういう団地にもプールはある。
子供用のプールではあるが、大人も夏場には利用している。
私は一度として入ったことはない。
大きさはというと、もしこれが池ならでか~い池というくらいの大きさはある。
もし池を持ちたいと思ったら、ここでは超超面倒である。
なにしろ、魚をエサにするサギがこの辺ではウヨウヨしているからだ。
ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギそしてカオジロサギ。
それ以外に、カルガモやウッドダックも飛来する。
浅いところならアイビスも入っていく。
とくにカオジロサギ、こいつが問題だ。
長くて細いクチバシで、スパッツと魚をとる。
ちいさな池なら、総ざらいされてしまう。
大きな池では蓋をする訳にもいかない。
陶器の池なら網目の蓋をかけるが、その目が荒いと、縁に止まって網目からこのスマートなクチバシを入れて盗んでいく。
言い換えれば、池を持てないのはこのサギの存在にあるといってもいい。
せっかくの金魚が全滅の憂き目にあってしまうのだ。
サギを自由にさせるのがいいか、池を持つほうがいいかとなれば、やはりサギに軍配があがるだろう。
そんなわけで、ここではデカイ家に住みながら池を持つ人が少ないのである。
池がみたかったら、ゴルフ場にいけば、ということになる。
おそらく、あそこの池にはろくな魚はいないと思う。
大物はみなカオジロサギに食われてしまっているはずである。
Wikipediから
『
2009年8月27日 / カオジロサギ - みんなの翻訳
http://trans.trans-aid.jp/viewer/?id=5702
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
● 繁殖羽 (夏羽) のカオジロサギ (英名:White-faced Heron、学名:Egretta novaehollandiae)。
干潮時に浜辺に取り残された小魚を漁っている。
オーストラレーシアの大半の地域でよく見られる鳥で、サギの仲間としては比較的小さく、体高は 60- 70 cm。
カオジロサギは食物を見つけるために様々な技を使う。
じっと立ったまま獲物が動くのを待ちかまえたり、浅瀬をゆっくりと歩いたり、翼をすばやく動かしたり、足で土を掻いたり、ときには翼を開いて獲物を追ったりもする。
採餌は一般に単独で、または小さな群れの中で個々に独立して行う。
』
英語名は「ホワイトフェースド・ヘロン」、つまり顔白鷺で日本語と同じ。
「顔白」となると顔黒を「ガンクロ」というようだから「ガンパクサギ」でも通じるだろうか。
昔から「顔白は百難隠す」と言われているから、モテるのかと思ったが、いやがられるだけ。
何しろその面がなんとなくセコそうに見えるからである。
そのカオジロサギが小魚を採るシーンを。
<まぐろの目玉>