2011年11月12日土曜日

2018年コモンウェルス・ゲームズ

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●’ AAPフォトより


 2018年に行われるコモンウェルス・ゲームズのゴールドコースト開催が決まった。


NICHIGO PRESS 2011年11月12日
http://nichigopress.jp/ausnews/world/30429/

2018年コモンウェルス・ゲームズ開催権
ゴールド・コーストがスリ・ランカ下す

 11月12日、ゴールド・コーストが、スリ・ランカのハンバントナを下し、
 2018年コモンウェルス・ゲームズ開催権を獲得した

 同日朝(豪大陸東部時間帯)、カリブ海に浮かぶセント・キッツ・アンド・ネイビスで開かれていたコモンウェルス・ゲームズ連盟(CGF)総会の投票で決まったもので、70人の代議員による投票でゴールド・コースト43票、ハンバントナ27票でゴールド・コーストの開催が決まった。
 オーストラリアでは過去に4都市で開催されており、1938年のシドニー、1962年のパース、1982年のブリスベン、2006年のメルボルンに次ぐオーストラリアでの開催となる。
 アンナ・ブライ州首相は、
 「一生懸命に候補地運動を展開したが、今週初めにはハンバントナ支持国も多いことが明らかになっていた。
 努力の甲斐があった」
と喜びを語っている。

 候補地比較としては、開催に何の危うさもないゴールド・コーストに対して、ハンバントナは、
 「生き方を変えるような機会」
を打ち出していた。
 この都市は、2004年のアジア津波で甚大な被害を受け、再建を続けており、CGFでも、
 「再建への協力をお願いする」
として、つつましいながらも威厳を保った候補運動を展開した。
 また、その先頭にはテスト・クリケットの伝説的プレヤー、ムッティア・ムラリダラン氏が立っていた。
 ムラリダラン氏は、
 「スリ・ランカ開催は、1995年にネルソン・マンデラに率いられたアパルトヘイト廃止後の南アフリカで開かれたラグビー世界杯のように、国を変え、統一する象徴になるだろう」
とハンバントナ開催の意義を強く押し出した。

 これに対して、ブライ州首相、ゴールド・コーストのロン・クラーク市長、コモンウェルス・ゲームズ協会のサム・コッファ会長らの候補代表団は、
 様々な失敗にたたられた2010年のデリー・ゲームズ
の後では、施設がすべて揃っているゴールド・コーストで安心して開くことが適当と主張した。
 ゲームズ主催では、QLD州とゴールド・コースト市は11億ドルの予算が必要と推定されており、一方、大スタジアムが1つあるだけのハンバントナ市は予算6億5,200万ドルを計画していた。(AAP)


 ところで、コモンウエルスゲームって何だ、ということですが、Wikipediaから抜粋でどうぞ。


コモンウェルスゲームズ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA

 コモンウェルスゲームズ (Commonwealth Games) は、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会である。 
 オリンピック競技のほか、英連邦諸国で比較的盛んなローンボウルズ、7人制ラグビー、ネットボールなども行われる。



● 参加の国と地域
  開催国は紫(数字は開催年)。赤は参加国、緑は現在は参加していない、かつての参加国。

 英連邦に所属する53の国と地域から71チームが参加、イングランド、ウェールズ、オーストラリア、カナダ、スコットランド、ニュージーランドの6つの国と地域は第1回から出場を続けている。
 イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4チームに分かれている。
 英連邦歌とイングランドの国歌は同じ「女王陛下万歳」であるため、コモンウェルスゲームズにおいてイングランドは「ルール・ブリタニア」を使用する。
 ガーンジー島、ジャージー島、マン島などの王室保護領を含め、多くのイギリスの海外領土からも出場がある。
 オーストラリア領のノーフォーク島、ニュージーランドと自由連合関係にあるクック諸島やニウエも個別のチームとして出場している。
 
■歴史

 コモンウェルスゲームズの最初期の構想は、1891年7月の雑誌『グレーター・ブリテン』、同年10月31日の新聞『タイムズ』におけるイギリス人牧師のクーパー(Astley Cooper)の提案に見ることができる。
 クーパーは、4年ごとに開催されるスポーツの祭典をとおして、コモンウェルス域内における関係国間の結束を深め、親善に役立てようと訴えた。
 このアイデアは、1911年、ジョージ5世の即位を記念して開催された「フェスティバル・オブ・エンパイア(帝国の祭典)」におけるスポーツイベントとして実現した。
 イギリスをはじめ、オーストラリア、カナダ、南アフリカが参加し、陸上競技やボクシング、レスリング、水泳の競技が行なわれた。
 優勝国となったカナダにはロンスデール卿より記念のトロフィーが授与された。

 1928年のアムステルダム五輪に刺激をうけて、イギリス帝国域内の国際親善を目的とする競技会の計画が再び持ち上がった。
 このときに主導権をとり、コモンウェルスゲームズの実質的な生みの親となったのはカナダ人のロビンソン(Melville Marks "Bobby" Robinson)である。
 ブリティッシュ・エンパイア・ゲームズ(British Empire Games, 大英帝国競技大会)という第1回大会当時の名称が示すように、きわめて帝国主義的な色彩が強いにせよ、植民地でも自らの代表を送ることができる国際的な競技会が誕生した背景には、ロビンソンがアムステルダム五輪において、五輪参加資格のない英領ギアナ出身の陸上選手、フィル・エドワーズを、カナダチームの代表として出場させた経験があった。
 アムステルダム、ロサンゼルス、ベルリンの五輪3大会の銅メダリストであるエドワーズは、1930年および1934年のコモンウェルスゲームズに英領ギアナ代表として出場、1934年大会では金メダルを獲得し、大会初の黒人メダリストとなった。
 その後、英連邦の変遷とともに大会の名称も変更され、1954年にはブリティッシュ・エンパイア・アンド・コモンウェルスゲームズ(British Empire and Commonwealth Games, 大英帝国イギリス連邦競技大会)、1966年にはブリティッシュ・コモンウェルスゲームズ(British Commonwealth Games, イギリス連邦競技大会)となり、1978年以降、現在の名称になっている。

 南アフリカのアパルトヘイト政策はコモンウェルスゲームズにも大きな影を落とした。 
 ナイジェリアは1976年のニュージーランドのラグビーチーム、オールブラックスの南アフリカ遠征に抗議して、モントリオール五輪に続いて1978年のコモンウェルスゲームズをボイコットした。
 また、1986年の大会ではサッチャー政権の南アフリカ政策に抗議した32ヶ国が大会をボイコットした。
 これに関連して南アフリカは1962年大会から出場を辞退していたが、アパルトヘイト廃止を受けて1994年大会よりコモンウェルスゲームズに復帰した。

■開会式

 入場行進は、前回大会の開催国を先頭に英語でのアルファベット順に行なう。
 開催国は最後に入場する。1930年から1950年までは、イギリスが大英帝国とその支配地域を導くことの象徴として、ユニオンジャックを掲げた旗手が先頭で入場していた。
 1958年大会より、オリンピックの聖火リレーにあたるクイーンズ・バトンのリレーが始まった。
 クイーンズ・バトン・リレーのスタート地点は、バッキンガム宮殿で、バトンの中にはエリザベス女王からの出場選手に対するメッセージが入っている。
 最終ランナーには開催国の有名なスポーツ関係者が選ばれることが多い。
 2002年のイギリス、マンチェスター大会ではデビッド・ベッカムが最終ランナーを務めた。

■開催種目

 最大で17種目が行なわれ、そのうち以下の10種目は必ず開催種目に含まれなければならない。
陸上競技
水泳
バドミントン
ボクシング
ホッケー
ローンボウルズ
7人制ラグビー(男子)
ネットボール(女子)
スカッシュ
重量挙げ


 日本でいえば「世界陸上」といったところになるでしょうか。
 「アジア大会」かもしれませんね。
 2000年はインドのデリーで行われ、2014年はイギリスのグラスゴーで、その次がゴールドコーストとなります。

 今年の5月に候補地として立候補している。
 その時の記事を。


NICHIGO PRESS  2011年5月11日
http://nichigopress.jp/ausnews/sportsnews/16681/

2018年の主催候補地

 5月11日、クアラルンプールで、ゴールド・コースト市が、2018年コモンウェルス・ゲーム主催立候補の書類をコモンウェルス・ゲームズ連盟に提出した。
 ゴールド・コーストの10歳の小学生、イブ・ルッツェちゃん
が240ページの主催企画書を連盟に手渡した。
 また、同日午後2時から20分の時間を与えられたゴールド・コースト市のプレゼンテーションでは、
 4分のプロモーションDVD
上映され、その映像にもイブちゃんが主演しており、
 「選手達はきっとゴールド・コーストが気に入る。私たちが輝く時だ」
と語っている。

 とは言え、ゴールド・コースト市の立候補がイブちゃん一人の双肩にかかっているわけではなく、アンナ・ブライQLD州首相、現ゴールド・コースト市長で元競走チャンピオンでもあるロン・クラーク氏、元水泳チャンピオンで現立候補委員会委員長のマーク・ストックウェル氏らが出席している。
 ブライ首相は、イブちゃんを絶賛し、
 「イブちゃんは、全身でゴールド・コーストを表している
 ゴールド・コーストの若々しいエネルギー、フレッシュさ、熱狂を体現している」
と語っている。
 さらに、
 「もし、ゴールド・コーストでコモンウェルス・ゲームを開催することになれば、2018年4月4日から4月15日にかけての日程となる。選手にとっても観客にとっても申し分のない天候となるだろう。
 しかも、会期中に週末が2度あり、また子供達の学校休みでもある」
としている。
 2018年大会では、中心的な10種の競技の他に、トライアスロン、サイクリング、体操、レスリング、射撃、卓球、バスケットボールなども競われる。(AAP)


 ではこのときのイブちゃんが務める招致ビデオと補助ビデオを見てみます。


2018ゴールドコーストコモンウェルスゲームズ招致ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=d1YJ0wtAjYo&feature=player_embedded



 招致補助ビデオ。

Gold Coast 2018 Commonwealth Games Bid DVD




 さて、日本人が好きなのはマラソン。
 もちろん行われます。
 
 ゴールドコーストで行われるワールドタイプのスポーツで日本人にとって一番著名なのは
 ゴールドコーストマラソン
ですが、その次はなんだとおもいますか。
 ないのです、残念ながら。
 強いてあげればこれ。
 「パンパシフィックマスターズゲーム」。




 でもこれマスターズなので30歳以上。
 誰でも参加できます。
 なにしろゴルフで参加できるのです。
 奇数年はアメリカで、偶数年はゴールドコーストで行われます。
 ちなみに、マラソンはありません。
 10km競歩が唯一のロードレース。


World Travel Guide 
http://www.worldtravelguide.net/australia/queensland/pan-pacific-masters-games

パンパシフィックマスターズゲーム
2011年11月  ウェブサイト: www.mastersgames.com.au

 パンパシフィックマスターズゲームは、(以前にはアジアパシフィックマスターズゲームとして知られている)、1998年から隔年でゴールドコーストで開催されています。
 この主要なマルチスポーツイベントは、20カ国から約10,000の参加者を魅了し、そして約40の異なるスポーツが毎年行われています。
 注目される陸上競技、ボールゲーム、ウォータースポーツの範囲だけでなく、ポロクロスやロックンロールなど、より珍しいスポーツが含まれています。
 参加資格・基準や要件が存在しないため、参加者はこれらのゲームのすべてに開かれていることを意味しており、ただ彼らの選んだスポーツのための最低年齢を満たしているということが必要条件となります。
 アーチェリーやテコンドー、またはゴルフやドラゴンボートなどから選択すれば、参加が楽しみになることでしょう。


 この地のロードレースでもっともポピラーなのが自転車。
 はるか昔、NHKが放送をやって一気に人気がでたのがツールドフランス。
 ことしのツールドフランスのコース優勝者にオーストラリアンもいました。
 帰国して盛大な歓迎をうけました。
 シーズンになると道路封鎖が行われ、この自転車レースが行われます。
 こちらの人には自転車の人気は高いが、ランニングはダメ。
 水泳・自転車・ランニングと3種のトライアスロンの方がはるかによろこばれる。
 このレースのときも道路封鎖が行われる。
 地元民にとってはマラソンより、こちらの方はいいかもしれないが、ちょっと沿道での見応えがない。
 
 パンパシフィッックマスターズの前身は「アジアパシフィックマスターズ」。
 この第一回大会にはマラソンがあった。
 ただし、ハーフマラソン。
 私も出てみたが、ひどい大会だった。
 他にもニ、三人の日本人が参加していた。
 コースがメチャクチャ、ゴールもメチャククチャ。
 距離表示もなく、いったい何キロあたりを走っているかもわからず、ラストスパートするといったことにもならず、なんとなくゴールしたらしいで終わった。
 いったいどこがゴールだったのだろう、クビをひねるフィニッシュ。
 後日、結果表が送られてきいて愕然。
 1時間50分台でゴールしているはずだが、結果は2時間05分くらい。
 いったいこの「15分」差というのはどこから出てきたのだろうと、怒り心頭。
 でもコース運営が非常に悪く「ゴメンナサイ」というお詫びのレターが入っていたので、許してやった。
 まあ、大仰に。


パンパック・マスターズ日本事務局
http://www.mastersgames.jp/info/about.html

 お問い合わせ先
 〒106-0044  東京都港区東麻布2-22-6
 株式会社ナノ・アソシエーション内  パンパック・マスターズ事務局
 電話番号:03-6802-8803

 営業時間:月~金(祝祭日を除く) 9:30~12:00 13:00~17:30
 E-メール:info@mastersgames.jp
 パソコンまたはケータイからもメールによるお問い合わせを受け付けております。


 これに懲りたらしく、翌年からこの大会ではマラソンは一切行われなくなった。
 現在もそれを引きずっている。
 ちなみに同じ頃、ブリスベンでベテランズというゲームが行われた。
 これはマスターズと並ぶ年長者の世界ゲームであった。
 ヨーロッパからたくさんの参加があった。
 これにはちゃんとマラソン種目があった。

 2018年には世界級のマラソンランナーが集まってくることになる。
 楽しみである。





 <まぐろの目玉> 



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