2011年10月27日木曜日

2011 ブリスベン日本映画祭




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2,3日前に発行された「NICHIGO PRESS 11月号」に載っていたイベント情報である。
ブリスベンでは「日本映画祭」、ゴールドコーストでは「ゴールドコースト映画祭」が開かれるという。
日本映画祭の内容は下の記事。



11月1日:Railways 49歳で電車の運転手になった男の物語
11月2日:1000年の山古志
11月3日:Space Battleship YAMATO  「宇宙戦艦ヤマト」
11月4日:借りぐらしのアリエッテイ


[■ Railways 49歳で電車の運転手になった男の物語] Wikipediaから。

あらすじ
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主人公・筒井肇は大手家電メーカーの経営企画室長。取締役への昇進が内定するなど、東京で妻子とともに暮らす彼の人生は一見、順風満帆そのものだった。
そんなある日、故郷・島根に住む肇の母が倒れたという一報が入る。
さらに親しかった肇の会社の同期が自動車事故で亡くなった。
久々に帰郷した肇は家庭を顧みてこなかったこれまでの人生、そして今後の人生について考えた。
そして自分の子供の頃の夢だった「一畑電車の運転士になる」ことを実現すべく会社を退職し、一畑電車に中途入社することとなった。
晴れて運転士となったのは肇の他にもうひとり、肘の故障でプロ野球入りの夢を絶たれた青年・宮田がいた。

鉄道映画として
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本作は鉄道好きである阿部秀司による製作総指揮の元、細部まで鉄道の描写にこだわって製作された。
3年近くを掛けて、部外者が立ち入れない運転台などで撮影する許可を監督官庁から取り付け、一畑電車・一畑電気鉄道(一畑グループの持株会社)・京王電鉄(一畑電車の運転士養成の委託先)の全面的な協力や、島根県、松江市、出雲市など沿線の自治体・団体の支援を得てロケが実施されている。

● 美術スタッフによってロングシートへ改装された車内(撮影終了後のため吊り手は撤去・返却済み)

中井貴一と並ぶもうひとつの「主役」であるデハニ52・53は、お座敷列車に改装された状態で2009年3月29日をもって営業運転を終了していたが、本作の撮影に当たってロングシートへの改装が行われている(お座敷の構造物の撤去までを一畑電車が手がけ、ロングシートの再設置は映画の美術スタッフによる。
吊り手は沿線の保育園に保存されているデハ3・6のものを借用)。
その上で2009年8月に撮影のための本線走行が実施されているのだが、中井ら俳優たちは甲種電気車運転免許(電車運転士の免許)を取得していないため実際に運転するわけにいかない。
そこで美術スタッフが作ったマスコンハンドルやブレーキハンドルを俳優が握った上で巧妙にカットをつなぎ合わせて運転シーンを作っている。
阿部は本作について「ここまで鉄道をモチーフとした『鉄道映画』と呼べそうなものは初めて」と語り、鉄道映画というジャンルを確立したいと今後に向けて構想を練っているという。
宮田役を務めた三浦貴大の父である三浦友和は、かつて「仔鹿物語」でローカル線の運転士役を演じているため、事実上親子2代で鉄道車両の運転士役を演じた間柄となっている。
三浦友和はRAILWAYSの続編(後項詳述)の運転士役で主演することが決まっている。
また、本作主演の中井貴一もかつて「迷路の歩き方」(NHKハイビジョンドラマ 2002年11月23日単発放送)で地下鉄の運転士役を演じている。

興行成績・波及効果 
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日本全国の201スクリーンで公開され、2010年5月29日・30日の初日2日間で動員7万8,367人、興収9,071万4,700円になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第5位となった。
また、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第2位になるなど、年配者を中心に幅広い世代から好評となった。
また、本映画の舞台となった一畑電車の利用者数も、試写会が行われた頃から次第に利用者が増加し、2010年5月から9月までの定期外利用者数は前年と比較して10%増加となった。
日本映画をフランスに紹介するKINOTAYO映画祭に出品され、最優秀賞を受賞する。
第1回ロケーションジャパン大賞の映画部門では、準グランプリを受賞した。
また三浦貴大は、この作品で第34回日本アカデミー賞新人俳優賞、第35回報知映画賞新人賞を受賞している。
2011年2月13日には、第2弾となる「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」が、富山地方鉄道を舞台として製作されることが発表された。


http://www.youtube.com/watch?v=yczHFExsar0





[■ 1000年の山古志』(せんねんのやまこし)]
Wikipediaから。

1000年の山古志』(せんねんのやまこし)は、2009年公開日本のドキュメンタリー映画。
2009年 カラー 120分 文部科学省選定

第27回日本映画復興奨励賞
第14回防災まちづくり大賞 消防庁長官賞


記録映画『1000年の山古志』予告編


1000年の山古志
http://www.youtube.com/watch?v=krFNOS0ILaY&feature=related




[■ Space Battleship YAMATO  「宇宙戦艦ヤマト」]
Wikipediaから

SPACE BATTLESHIP ヤマト』(スペース・バトルシップ ヤマト)は、2010年の日本映画。
アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト』の初の実写版映画である。
2010年12月1日公開。
キャッチコピーは「必ず、生きて還る

概要
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往年のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を実写化するという企画・構想案をTBSが立案。
約5年かけてセディックインターナショナルと、西崎義展の養子である株式会社エナジオの西崎彰司の協力の下、西崎義展の許可を得て2009年10月3日に正式に製作発表された。

ストーリーは『宇宙戦艦ヤマト 第1作』(特に『劇場版~スターシア死亡編』)を中心に、松本零士参加以前の「ラジェンドラ星」版ヤマト、『さらば~』、『完結編』をモチーフにしており、特に後半は『さらば~』の要素が強く、最終シーンにはそれらに『完結編』の要素が加わる。
タイトルに英語を取り入れているのは、海外進出を視野に入れているためである。
2010年12月31日から台湾で公開されたのを皮切りに、香港・タイ・シンガポール・フランス・ドイツ他13カ国での公開が予定されている。
全国440スクリーンで公開され、2010年12月4、5日週末2日間での動員が41万2129人で興収5億2821万5150円、12月1-5日の5日間での累計動員は79万1012人で累計興収が9億4399万5550円となり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』などを抑えて、初登場第1位[8]であった。
最終的な興行収入は49,163,295米ドル(公開当時の1米ドル=83円で40億8055万3485円)で、2010年公開の邦画では4位、洋画を含めると8位の成績であった(米Box Office調べ)。

あらすじ
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西暦2199年、地球は謎の異星人「ガミラス」の攻撃で滅亡の危機に瀕していた。
ガミラスの遊星爆弾による攻撃で海は干上がり、地球上の生物の大半は死滅した。
残された僅かな人類は地下都市を建設してガミラスの攻撃に耐えていたが、地下にまで浸透してきた放射能によって人類の滅亡まであと1年余りに迫っていた。
そんなある日の事、地球上にイスカンダルからのメッセージカプセルが届けられた。
そこに記されていたのは、波動エンジンの設計図とイスカンダルの正確な座標であった。
後日、地球防衛軍はそれらの情報に加えて、彼らには放射能除去装置を渡す意思があると発表。
その情報を信じ地球の最後の希望を乗せた宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルへと旅立った。


space battleship YAMATO - 実写版ヤマト予告
http://www.youtube.com/watch?v=8EtAlB0D-WA





[■ 借りぐらしのアリエッティ]
Wikipediaから。

「借りぐらしのアリエッティ」(かりぐらしのアリエッティ、英題:The Borrower Arrietty)は、2010年の日本のアニメ映画である。



あらすじ
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14歳の小人の少女・アリエッティは、人間に見られてはいけないという掟の下、郊外にある古い屋敷の床下で、人間の生活品を借りながら、両親と密かに慎ましく暮らしていた。
そんなある日、その屋敷に引越してきた病を患った少年・翔に自分の姿を見られてしまい、アリエッティは外の世界で暮らすことを余儀なくされる。

制作に至る経緯
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メアリー・ノートンのファンタジー小説『床下の小人たち』が原作となっている。
この作品は1952年に出版され、この年のカーネギー賞を受賞している。
元々は、約40年前にアニメーション監督の宮崎駿と高畑勲によって考えられた企画であり、2008年初夏になって宮崎駿によって改めて企画された。
当初は『小さなアリエッティ』という題であった。

屋敷のモデル
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本作に登場する和洋折衷の屋敷や庭園は、2008年にスタジオジブリの社員旅行で訪問した青森県平川市の盛美園がモデルとなった。
なお、宮崎駿によれば屋敷の所在地は東京都小金井市の辺りという設定である。

キャッチコピー
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人間に見られてはいけない。
 それが床下の小人たちの掟だった。


公開に向けて
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2010年5月8日より全国約20箇所の劇場で、テント生地で作られた縦1.8m×横10.5mの超パノラマサイズポスターが張り出された 。
2010年7月17日より10月3日まで東京都現代美術館で『借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展』を開催。
1200m²を超える展示室に巨大なセットが組まれた。
8月17日には来場者が10万人を突破する程の大好評となっている。
前売り券は2010年6月17日時点の発売後約2ヶ月で54,000枚を超える売り上げを記録。
これは前作『崖の上のポニョ』より約3倍の記録となった。
2010年8月10日にはNHKで、映画完成までの舞台裏を密着したドキュメント『ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日』が放送されている。

興行成績
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全国447スクリーンで公開され、2010年7月17,18日初日2日間で興収約9億円、動員は約68万人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第1位となった。
更に公開3日間(17-19日)では動員103万8,138人、興収13億4,979万8,700円を記録し100万人超えを達成している。
客層の6割が女性で占められ、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)でも第4位となっている。
更に公開第2週目で累計動員が206万2,166人となり早くも動員200万人を突破[。
公開第3週には累積動員は300万人を突破、公開第4週には興収が50億円を突破しランキング連続第1位に、公開第6週には動員600万人を突破している。
最終興収は92.5億円になり2010年度興行収入邦画第1位となっている。

海外での公開
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2010年9月9日より韓国で約300スクリーンで公開。
韓国ではもののけ姫以降のジブリ映画が劇場公開されており、日本以外では国外最速の公開となる。
フランスでは2011年1月12日、台湾では2011年1月14日からの公開が予定されている。


借りぐらしのアリエッティ 予告 (30秒 ver.)
http://www.youtube.com/watch?v=IXbPh_Jy4P4


The Borrower Arrietty Trailer (English subtitles) (借りぐらしのアリエッティ)
http://www.youtube.com/watch?v=UJt2YumMMH8


借りぐらしのアリエッティ 予告
http://www.youtube.com/watch?v=BZqVL8ryhJQ



全部みて見てみたいのだが。
場所はクイーンズランド大学。
これは遠い。
「日本映画祭」となっているが、たしかこれ昔は「ジャパニメ」でなかったかと思う。
『もののけ姫』とか『アキラ』などはここでみたような記憶があるのだが。
ブリスベン市役所とローマ駅の間ぐらいにあたるうらさびれた映画館であった。
席は全部予約制であった。
あのころはインターネットみたいなものはなく、なにしろ日本のものに飢えていた。
パシフィックハイウエイがモーターウエイになる前のことで、2車線の旧道といった感じの道を1時間くらいかけて出かけていったものである。
満席。
でも東洋人など数えるほど。
それも、学生がらみに若い連中のみ。
日本のアニメっていうのは、こちらの若者にも人気があった。
いまはとても行く気にはなれない。
あのころはまだ若かった、ということだろう。
日本のものなどマッタクといっていいほどなかった時代である。
そんななかで、ジャパンアニメをやると聞いただけで、絶対に行くんだと心に決めるしかなかった、そんな昔になるということであろう。
今はモーターウエイになり、110キロでブットばして、あっという間にブリスベンである。
クーインズランド大学がいかに遠かろうとも、あのころなら出かけたであろう。
いまでは、「いいや、やめておこう」である。
いかに便利になっても、遠いものは遠いのだ、と言い訳を心に刻むのである。

こうやって、ちょっとインターネットを検索すると、山のような資料が出てくる。
便利な時代である。
この便利さに中毒になってしまっている。
あのころには想像できなかった世界が到来している。
これからは更にこの便利さが加速されるだろう。
一体全体この先、どんな世界がやってくるのだろう。
ここまで便利になると、「日本への望郷の念」なるものはこれッぽっちもわかない。
「遙かなる日本」ではなく、「ちょっと隣の日本」なのである。
行ってみるかと思ったら、インターネットで席が空いているかどうか確認してカード番号を打ち込こめば手続き終了。
翌日の夜には実際、日本に居るのである。

神戸大震災のときはこちらのテレビのニュースしかなかった。
情報が少なくどうにもフラストレーションが溜まった。
今回の東日本大震災ではテレビ中継がそのままインターネットにのって日本と同時視聴できたのである。
テレビ中継のみならず、個人が撮った映像がyoutubeなどに載って大洪水のように押し寄せてきたのである。
まるで、日本にいるのとかわりない。
そんな日常になっている。

とはいうものの、やはり日本のものがイベントされると見にいきたいものである。



● NICHIGOPRESS 2012年1月号

「借りぐらしのアリエッティ」は来年1月12日に一般公開されるとのことで、チャンスを捉えて見にいきたいと思っています。




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その後の話
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「事実は小説より奇なり」というけど、「事実は映画より奇なり」とも言えそうである。
4人の中年が自腹で鉄道運転士デビューを果たしたという。
時には信じられないことも起こるからこの世は楽しい。


asahi.com 2011年12月21日11時18分
http://www.asahi.com/national/update/1221/TKY201112200687.html
 
自腹で鉄道運転士デビュー 訓練費700万円



訓練費700万円を自己負担することを条件に鉄道の運転士を養成する「いすみ鉄道」の社会人向け事業の1期生4人が、ディーゼル列車の運転士の国家試験に合格した。
退職金や貯金をはたいて夢に挑戦した中年の男たちは来春にも運転士としてデビューする。

いすみ鉄道は、大原(千葉県いすみ市)―上総中野(大多喜町)間の26.8キロでディーゼル車を運行するローカル線。
慢性的な赤字の一方でベテラン運転士の引退時期が迫り、全国で初めて訓練費用の自己負担を条件に運転士の希望者を募った。

1期生は、元バス運転手の高崎浩さん(51)と元IT関連会社員の武石和行さん(44)、元家電量販店社員の富岡隆さん(44)、元オートバイ販売会社員の吉井研治さん(53)。
東京や広島など全国各地から募集に応じ、国土交通省の動力車操縦者資格(甲種内燃)を目指して昨年5月から訓練に取り組んできた。

学科試験は今春までに4人とも合格したが技能試験が難しかった。
昨年12月と今年5月の技能試験はいずれも不合格。
3度目となった11月の技能試験で4人同時に合格を果たした。

これから客への対応や非常時の訓練を行い、社内の「見極め試験」に合格すれば契約嘱託運転士として1人で乗務を始める。
順調にいけば来年5月ごろにはデビューできる見込みだ。

武石さんは
「小さい頃から鉄道が好きだったけれど、就職が国鉄民営化に重なって採用がなかった。
夢がかなった」。
富岡さんは
「新しいことに挑戦できると思い応募した。
合格で最初の一歩を踏み出せた」。

最年長の吉井さんは実技試験の前に緊張から神経痛になったという。
「不合格だったらどうしようと心配だった。
仲間に励まされて頑張ってこられた。
利用者を思いやれるプロの運転士になりたい」
と意気込む。

鳥塚亮社長は
「本当に頑張ってくれた。
こういう生き方があると、多くの方への励ましにもなる」。

現在、2期生の2人も訓練中で、
来年1月には3期生4人の募集説明会を予定している。
問い合わせはいすみ鉄道(0470・82・2161)へ。









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